東大野球部の新監督に元中日で現役時代は投手及び外野手、引退後は2軍監督やフロントで活躍した井出峻氏(75)が就任しました。東大は、東京六大学連盟に属し、現在リーグ戦(引き分けを挟み)42連敗中です。最後に勝利したのは、2017年秋のリーグ戦の法政大学戦です。東大野球部は創部100年を向かえ、初のNPB出身監督が就任しました。そこで、井出峻氏はどんな選手だったのか、人物像を含めて紹介し、そこで如何にして連敗をストップし他の5大学と対等に渡り歩くかを考えてみました。
目次
井出峻氏とはいったいどんな人物なのか?
井出峻氏は1944年2月15日東京都新宿区生まれの現在75歳、新宿高校から東京大学農学部に進学。東大野球部では主に投手として活躍。リーグ戦通算4勝を上げました。
その後、変化球主体の頭脳的なピッチングが評価され、1966年第二次ドラフト3位で中日ドラゴンズに入団しました。ちなみに大学卒業後は総合商社の三菱商事に内定していました。
悩んだ末に、史上2人目の東大出身プロ野球選手(175㎝65キロ)になりました。
現役時代は投手、後に外野手として活躍しました。1973年5月5日には、後楽園球場での巨人戦にて守備固めに着いた後、延長10回に打席が回り、髙橋一三投手から決勝のホームランを放っています。ちなみにこの時、野手として初で最後のヒーローインタビューを受けています。
※投手時代にはプロ入り1年目の1967年9月10日の大洋戦でリリーフで初勝利を記録し、この時に1度だけヒーローインタビューを受けています。
ちなみに東大出身野手はこの井出峻氏が初めてで、その後は輩出していません。
現役時代、特に外野手時代は代走や守備固めでの出場が主であったが、相手チームのサインを見破ったり、投手の癖を読むのに長けておりベンチにいても貴重な戦力でした。
なんと、あの長嶋茂雄氏の引退試合にも出場しており、スコアーボードに名前が残っています!!
野手として守備固めや代走が主ではあったが通算359試合に出場しており(64打数12安打1HR2打点)、東大出身選手の中では最多出場数にあたります。
10年の現役生活を終えた後は、東京日本橋で親類が経営するパッケージ製造会社に3年間勤務しました。なんと!!このときに3週間だけ東大野球部のコーチをつとめています。
その後、中日にカムバック!2軍監督や1軍守備走塁コーチを歴任し、更にはフロントや球団取締役としても活躍しました。その後、母校新宿高校のコーチをつとめ、東大初のプロ出身監督として着任しました。
井出氏は温厚な性格のようです。褒めて伸ばすタイプとか!!。
「東大に入ってくる子に精神論を叩き込んでもついてこないでしょう・・。特に彼らは納得しないとついてこない」と言っていたようです。
更には、新宿高校コーチ時代、投手がいくら打たれても何も怒らないから困る!と周りから言われていたようです(笑)
数年前までコーチや監督を務めていた中西正樹氏はどちらかというとスパルタに映っていましたので、真逆なタイプですね。
とはいえ、東大野球部監督就任に伴い、練習場の東大球場近くのアパートに単身越してきた熱いハートの持ち主です!
「いずれは全てを母校(東大)に還元しようと思っていた」という発言もあり、ずっと東大監督をやりたいと思っていたのでしょう。
冷静沈着、ハートは熱く!!いかにも東大らしいですね☆
ちなみに家族は奥様がいらっしゃいますが、子供は不明です。
2020年!連敗ストップだ!!
2017年秋季リーグ戦の法政大学戦の勝ち及び勝ち点獲得を最後に勝利から遠ざかっている東京大学。
毎季リーグ戦東大の試合を必ず見ていますが、けっして弱いわけではないと思うんですよ。
仮に他のリーグにいけば、うまくやればリーグ中位は維持できるんじゃないかと思うんですよね!!
2019年は辻居外野手(主将)が井出峻氏以来の東大出身野手誕生か!?なんて騒がれていましたし、内野を守る新堀選手は悪球打ちという面はありましたがリーグ戦でホームランを記録しています。投手陣の中では宮本投手が孤軍奮闘しているように見受けられ、相手打線を完全に抑えた試合もいくつもありました。
確かに大敗を喫してしまう試合もありますが、重ねますがロースコアーの試合も多々あります。
ただ、投打がかみ合わない・・投手が最小失点に抑えていても打線が打てない・・。打線は打つけど投手が失点を重ねてしまう・・。試合が多い印象ですね。内外野の守備に関しては、時折エラーはありますが以前(10年ほど前)に比べたら格段に解消されています。なので、投打が噛み合えば・・というのが切実ですね☆
東大の場合、いくら以前に比べ打線がよくなったとはいえ、野球の基本である投手が最少失点に抑えて!!というのがまず勝利の条件になると思います。
更には1人でなく複数投手が欲しいですね!!2017年秋の勝ち点を上げた際は、宮台投手は勿論、柴田投手(JR東日本)もいました。このときは2年生でしたが勿論宮本投手も!
打線も楠田選手、田口選手、山田選手の4年生。2年生だった辻居選手(後の主将)、新堀選手等いましたね。
井出峻氏が培ったプロの経験を最高学府の彼らに伝授し、体現してもらいたいものですね。
プロで投手及び野手経験がある井出峻氏の監督就任は創部100年にして、ビックNEWS!ですね。東大出身野手誕生も近いかもしれませんね☆
全国の高校生!!カモーン!!東大へ!!
今年(2019年)夏の高校野球西東京大会の桐朋ー日大三高戦をダイワスタジアム八王子に見に行きましたが、進学校桐朋の投手が敗れはしましたが日大三高打線を5安打に抑えていました!!直球は威力あり、変化球はコーナーを突いて、日大三高打線も戸惑っているのが見て取れましたよ。
「あのピッチャー!東大野球部に入ってくれないかな~~」って思いました(笑)
少し前になりますが、あの御三家開成高校野球部が話題になりました。
「弱くても勝てます」という書籍にあった通り、都大会で4回戦まで勝ち上がりました。強豪校の帝京や国士舘とも敗れはしましたがいい試合をしました!!
今の時代、進学校=野球弱いではないんです!!
グランド練習週1回1時間半、バッテイング練習しかしなくても勝てるんです!!。
実は・・そうなんですね!!
浜田一志前監督がとてもユニークな活動しているんですよね。
全国の高校を行脚し、勉強と部活の両立のもと東大野球部への勧誘活動しているんです。
本当にユニークな方で私の尊敬する人のひとりです。
これからは浜田一志氏がスカウトし、井出峻氏に預ける!というホットライン確立です(笑)。嬉しい限りです!!
ちなみにこの浜田氏は昼間は東大野球部の指導、夜は自ら経営する進学塾での学習指導をされているんです。この進学塾西部学院は、部活動に励む学生のための塾で、部活動もやりながら進学しよう!というのがモットーです。夏には東大野球部に入部するための東大合格勉強合宿を企画しているんですね。その勉強合宿を通して東大野球部に入部した部員も増えています。
こういった地道な活動が実を結んできていると感じますし、浜田氏の活動には本当に頭が下がりますよ!!
ちなみに浜田氏も土佐高校で野球にのめり込み、引退後(偏差値37)から、猛勉強の末東大合格を勝ち取り、東大野球部で活躍されました。
他の5大学にあるような推薦のない東京大学。神宮で活躍することを夢見て、文武両道を乗り越えた球児が一人でも多く入部し、井出峻氏のもとで神宮で活躍することを楽しみにしてやみません☆☆